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みなさま、お元気でいらっしゃいますか。
もうすぐ12月ですね!
今年もあっという間でした。。。。
残り少ない2011年ですが元気に日々を過ごしたいですね。
さて、わたしはアフガニスタンの首都・カブールでの2つのコンサートを実施してまいりました。
昨年の九段でのコンサートの御礼を、ぜひミサや日本の皆さんにしたいのだということで、
ユネスコ パリ本部が支援するNGOアフガニスタン・デュマンの会長であるエサンさんや、
現地からの要請で伺ったのでした。
アフガニスタン側の温かいおもてなしと、フランス考古学センターの皆様、
フランス文化ホールのご協力のおかげで、身の安全も確保くださいました。
カブールでの写真は、また現地から送られてきたら掲載致しますので,待っていてくださいね!
カブールは、街のあちこちに爆弾やロケット弾が落とされているのではないかという、
私の無知な想像とは裏腹に、思ったほど危険ではなく、むしろ、普通なほどでした。
現地の女性が一人で歩く姿をたくさん見ました。
(夕方までだそうです,歩けるのは)
街は活気があるというか、
大渋滞の道路なのですが、秩序はなく、舗装されていない道路を走るので、
いろんな意味でスリリングではあります。
(内心ビクビクではありましたが、、、、)
護衛付きでしたが車から降りて、ほんのちょっとだけ街を歩きました。
というか、コンサート会場の下見のためでしたが、警備都合のために車が入れず、
やむを得ず歩くしかなかったのです。
絶対に車から降りることはないと思っていたので、
カブールの地を踏んだ時は、ある意味、とても感動しました。
現地の女性スタッフのマリアさんと手をつないで、せーので道路を横断しましたが、
目の前にいる人たちは、アフガニスタン人だけでなく、
パキスタン人もいれば、タジキスタンなど、たくさんの人種のるつぼで、
同じ人間同士なのに、生まれた場所の境遇で(しかも自分では選べない)、
こんなにも自由がない日々ですのに、目があい、挨拶をすれば笑顔で返してくださるのです。
街は首都カブールということもあり、レストランもあるし、ショッピングモールもあるそうです。
ただ、、街の風景はカラシニコフを持つ兵士だらけ、
警備が厳重、あちこちの有刺鉄線、山には勝手に家を作って住んでいる極貧層の家並み、
戦後直後の闇市より酷いバザー
(戦後直後を実際に見て歩いているわけではないので、あくまで、テレビのニュース映像で見る限りとしての比較ですが、、、)、
牛をそのまま吊るして肉をはぎ取っている店、
素足で埃だらけで大人を手伝う子どもたちなど、格差を感じました。
ロバが荷車を引いているのを何度か見ました。
カブールという首都で、、、、!
そのわりに、フランス文化センターのホールは、
照明もミキサールームもあったりして。。。笑。
2つのコンサートは大成功で、子どもたち代表と一緒にPeace of mindも歌いました。
19歳の現地の若手バイオリニストに演奏をしてもらいました。
私のピアノソロのAISAN WINDにも、とても共感くださいました。
ああ、そうだ、アフガニスタンはアジアなのだと、実感いたしました。
兵士が、警備を抜け出して大勢、聞きにきてくれました。
(大統領公邸の隣がフランス文化ホールで、この警備兵士がこぞっていなくなったので、何かあったら逆に大変だったと、笑い話になったほどでした。警備が居なくなったのですから。笑。)
兵士たちが「争うのがバカバカしくなった。ミサの曲のおかげで、
失った家族、友人にミサの音楽の中で再会出来た。
この地で、平和とは何かを考えていきます!」と、泣きながら握手を求められました。
迷彩服を着て、カラシニコフを脇に下げて、
子どもたちに混じってコンサートを聞きにきてくれたのです。
こんな光景は、二度と無いでしょう。
ステージの上から、その彼らの姿や、貧困と戦争に喘ぐ子どもたちの笑顔、
それを支える先生たちの涙を見ながら、私自身の、今後の作曲の指針になりました。
こんな混乱の中に生きる人たちに対して、自分の音楽で救えることもあるのだと。
また、想像で作曲していた『シルクロードの風景』は、
現地の人の魂と同じだったということも。
だから、「アフガニスタンに住んでいたのですか?」という、
これまで同様の、いえ、それ以上の感想をくださった。
子どもたちもです。
「僕たちの曲をありがとう」と。
わたしは作曲した本人なのに、とても驚きました。
現地に暮らす人たちが、私の曲を自分の国の、自分たちの曲だと感じてくださることに、
深い感慨を覚えたのです。
わたしのために、手に職をつけるという訓練で磨いた、
素晴らしいビーズのアクセサリーをプレゼントくださいました。
これもアフガニスタンの文化のひとつなのでしょう。
デザインの美しさに感動し、コンサートでは、このアクアセサリーを身につけて演奏いたしました。
そして、美しい絵と、[平和]についてのメッセージと、そして鉛筆を一本いただきました。
そして東日本大震災で被災した子どもたちへ、
この子たちからメッセージと絵と、そして鉛筆を1本戴きました。
ようやく自分たちは待望の文房具がもらえたのに、
その貴重な1本の鉛筆を被災した子どもさんに差し上げたいという、
現地の子どもたちの「心」を預かってきました。
「わたしたちはミサのコンサートで発生した寄付のおかげで一年、
温かい思いをし、給食も食べられ、文房具まで与えてもらった。
でも、震災で被災した子どもたちは、いま、とても大変だと思います。
先生に聞いたのですが、特に、福島の子どもたちは原発もあり、
外に出て自由に遊べないのではないか。
自由に平和を心に感じられないわたしたちなので、
少しだけ怖じように自由がないような気がしてとても心が痛みます。
自由で平和な心が戻るように、メッセージと絵と、そして、
おうちの中にいても絵や文章が書けるように鉛筆をプレゼントしたい」
今回のアフガニスタン・カブールでは、
この鉛筆とメッセージと絵を預かってくる目的も兼ねていました。
福島県で原発で避難しているこどもたちの代表となる機関へ、
届けに行く準備をしているところです。
この想いを、九段のコンサートに来てくださったお客様皆様に、お届けいたします。
あらためて、ありがとうございました。
また、来年、カブール(アフガン首都)の音楽学校で学ぶ子どもたちと
「ミサ・オーケストラ」を作って、全曲、わたしのオリジナル曲でのコンサートをやりたいと、
校長先生とアフガン政府から打診がありました。
この子たちの、生きる糧にしたいそうです。
モーツァルトやベートーベンではなく、アニメの曲でもなく、
わたしの音楽で、やりたいのだそうです。
ご縁があれば実現させてあげたいと思います。
城之内ミサ
もうすぐ12月ですね!
今年もあっという間でした。。。。
残り少ない2011年ですが元気に日々を過ごしたいですね。
さて、わたしはアフガニスタンの首都・カブールでの2つのコンサートを実施してまいりました。
昨年の九段でのコンサートの御礼を、ぜひミサや日本の皆さんにしたいのだということで、
ユネスコ パリ本部が支援するNGOアフガニスタン・デュマンの会長であるエサンさんや、
現地からの要請で伺ったのでした。
アフガニスタン側の温かいおもてなしと、フランス考古学センターの皆様、
フランス文化ホールのご協力のおかげで、身の安全も確保くださいました。
カブールでの写真は、また現地から送られてきたら掲載致しますので,待っていてくださいね!
カブールは、街のあちこちに爆弾やロケット弾が落とされているのではないかという、
私の無知な想像とは裏腹に、思ったほど危険ではなく、むしろ、普通なほどでした。
現地の女性が一人で歩く姿をたくさん見ました。
(夕方までだそうです,歩けるのは)
街は活気があるというか、
大渋滞の道路なのですが、秩序はなく、舗装されていない道路を走るので、
いろんな意味でスリリングではあります。
(内心ビクビクではありましたが、、、、)
護衛付きでしたが車から降りて、ほんのちょっとだけ街を歩きました。
というか、コンサート会場の下見のためでしたが、警備都合のために車が入れず、
やむを得ず歩くしかなかったのです。
絶対に車から降りることはないと思っていたので、
カブールの地を踏んだ時は、ある意味、とても感動しました。
現地の女性スタッフのマリアさんと手をつないで、せーので道路を横断しましたが、
目の前にいる人たちは、アフガニスタン人だけでなく、
パキスタン人もいれば、タジキスタンなど、たくさんの人種のるつぼで、
同じ人間同士なのに、生まれた場所の境遇で(しかも自分では選べない)、
こんなにも自由がない日々ですのに、目があい、挨拶をすれば笑顔で返してくださるのです。
街は首都カブールということもあり、レストランもあるし、ショッピングモールもあるそうです。
ただ、、街の風景はカラシニコフを持つ兵士だらけ、
警備が厳重、あちこちの有刺鉄線、山には勝手に家を作って住んでいる極貧層の家並み、
戦後直後の闇市より酷いバザー
(戦後直後を実際に見て歩いているわけではないので、あくまで、テレビのニュース映像で見る限りとしての比較ですが、、、)、
牛をそのまま吊るして肉をはぎ取っている店、
素足で埃だらけで大人を手伝う子どもたちなど、格差を感じました。
ロバが荷車を引いているのを何度か見ました。
カブールという首都で、、、、!
そのわりに、フランス文化センターのホールは、
照明もミキサールームもあったりして。。。笑。
2つのコンサートは大成功で、子どもたち代表と一緒にPeace of mindも歌いました。
19歳の現地の若手バイオリニストに演奏をしてもらいました。
私のピアノソロのAISAN WINDにも、とても共感くださいました。
ああ、そうだ、アフガニスタンはアジアなのだと、実感いたしました。
兵士が、警備を抜け出して大勢、聞きにきてくれました。
(大統領公邸の隣がフランス文化ホールで、この警備兵士がこぞっていなくなったので、何かあったら逆に大変だったと、笑い話になったほどでした。警備が居なくなったのですから。笑。)
兵士たちが「争うのがバカバカしくなった。ミサの曲のおかげで、
失った家族、友人にミサの音楽の中で再会出来た。
この地で、平和とは何かを考えていきます!」と、泣きながら握手を求められました。
迷彩服を着て、カラシニコフを脇に下げて、
子どもたちに混じってコンサートを聞きにきてくれたのです。
こんな光景は、二度と無いでしょう。
ステージの上から、その彼らの姿や、貧困と戦争に喘ぐ子どもたちの笑顔、
それを支える先生たちの涙を見ながら、私自身の、今後の作曲の指針になりました。
こんな混乱の中に生きる人たちに対して、自分の音楽で救えることもあるのだと。
また、想像で作曲していた『シルクロードの風景』は、
現地の人の魂と同じだったということも。
だから、「アフガニスタンに住んでいたのですか?」という、
これまで同様の、いえ、それ以上の感想をくださった。
子どもたちもです。
「僕たちの曲をありがとう」と。
わたしは作曲した本人なのに、とても驚きました。
現地に暮らす人たちが、私の曲を自分の国の、自分たちの曲だと感じてくださることに、
深い感慨を覚えたのです。
わたしのために、手に職をつけるという訓練で磨いた、
素晴らしいビーズのアクセサリーをプレゼントくださいました。
これもアフガニスタンの文化のひとつなのでしょう。
デザインの美しさに感動し、コンサートでは、このアクアセサリーを身につけて演奏いたしました。
そして、美しい絵と、[平和]についてのメッセージと、そして鉛筆を一本いただきました。
そして東日本大震災で被災した子どもたちへ、
この子たちからメッセージと絵と、そして鉛筆を1本戴きました。
ようやく自分たちは待望の文房具がもらえたのに、
その貴重な1本の鉛筆を被災した子どもさんに差し上げたいという、
現地の子どもたちの「心」を預かってきました。
「わたしたちはミサのコンサートで発生した寄付のおかげで一年、
温かい思いをし、給食も食べられ、文房具まで与えてもらった。
でも、震災で被災した子どもたちは、いま、とても大変だと思います。
先生に聞いたのですが、特に、福島の子どもたちは原発もあり、
外に出て自由に遊べないのではないか。
自由に平和を心に感じられないわたしたちなので、
少しだけ怖じように自由がないような気がしてとても心が痛みます。
自由で平和な心が戻るように、メッセージと絵と、そして、
おうちの中にいても絵や文章が書けるように鉛筆をプレゼントしたい」
今回のアフガニスタン・カブールでは、
この鉛筆とメッセージと絵を預かってくる目的も兼ねていました。
福島県で原発で避難しているこどもたちの代表となる機関へ、
届けに行く準備をしているところです。
この想いを、九段のコンサートに来てくださったお客様皆様に、お届けいたします。
あらためて、ありがとうございました。
また、来年、カブール(アフガン首都)の音楽学校で学ぶ子どもたちと
「ミサ・オーケストラ」を作って、全曲、わたしのオリジナル曲でのコンサートをやりたいと、
校長先生とアフガン政府から打診がありました。
この子たちの、生きる糧にしたいそうです。
モーツァルトやベートーベンではなく、アニメの曲でもなく、
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プロフィール
HN:
城之内ミサ
性別:
女性
自己紹介:
☆UNESCO Artist for Peace
(平和芸術家)
☆東邦音楽短期大学
音楽学部特任講師
☆平城遷都1300年記念
事業協会評議員
☆平城遷都1300年記念
事業音楽広報大使
東邦音楽短期大学音楽学部作曲楽理科に在学中より、テレビドラマ、映画音楽の作・編曲など、プロとしての活動を始める。
「3年B組金八先生」、「毎度おさわがせします」、「フレンズ」、「日曜東芝劇場」、「ポーラ連続テレビ小説」、「マンハッタンキッス」、文化庁芸術祭参加作品など、数々のドラマ、映画、映像の音楽や主題歌を手掛ける。
CMでは「日本香堂(出演・音楽)」、「伊勢丹春秋キャンペーン」、「雪印」、「キューピー」、「旭化成(全日本CM大賞受賞・出演と音楽)」、「積水屋根瓦」、「クレフ化粧品」などの音楽も手掛ける。
メディア活動では、ラジオのパーソナリティとして東京FM「ハートオブサンデー」を5年間勤め、アナウンサー福留功男氏と共にBAY-FM「パワーフライデー」のパーソナリティを2年間つとめた。
テレビドラマにも役者として数本出演、報道番組のゲストコメンテーターとしても活躍する一方、エッセイも多数執筆。
また、アーティストのプロデュース、編曲、楽曲提供も手掛ける。
(谷村新司、林明日香、森山直太郎、シャオロン、高桑英世、ジャン・シャオチン、ジャー・パンファン等)
国内の活動だけでなく海外公演も多く重ね、再演の呼び声も高い。
(平和芸術家)
☆東邦音楽短期大学
音楽学部特任講師
☆平城遷都1300年記念
事業協会評議員
☆平城遷都1300年記念
事業音楽広報大使
東邦音楽短期大学音楽学部作曲楽理科に在学中より、テレビドラマ、映画音楽の作・編曲など、プロとしての活動を始める。
「3年B組金八先生」、「毎度おさわがせします」、「フレンズ」、「日曜東芝劇場」、「ポーラ連続テレビ小説」、「マンハッタンキッス」、文化庁芸術祭参加作品など、数々のドラマ、映画、映像の音楽や主題歌を手掛ける。
CMでは「日本香堂(出演・音楽)」、「伊勢丹春秋キャンペーン」、「雪印」、「キューピー」、「旭化成(全日本CM大賞受賞・出演と音楽)」、「積水屋根瓦」、「クレフ化粧品」などの音楽も手掛ける。
メディア活動では、ラジオのパーソナリティとして東京FM「ハートオブサンデー」を5年間勤め、アナウンサー福留功男氏と共にBAY-FM「パワーフライデー」のパーソナリティを2年間つとめた。
テレビドラマにも役者として数本出演、報道番組のゲストコメンテーターとしても活躍する一方、エッセイも多数執筆。
また、アーティストのプロデュース、編曲、楽曲提供も手掛ける。
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